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東京高等裁判所 昭和59年(行ケ)80号 判決 1986年7月30日

原告

東洋紡績株式会社

被告

特許庁長官

主文

特許庁が、昭和57年審判第18320号事件について、昭和59年1月18日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第1当事者の求めた裁判

1  原告

主文同旨

2  被告

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

第2請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和50年10月24日にした特許出願(同年特許願第128572号)を原出願とする分割出願として、昭和55年7月28日、名称を「新規な巻縮繊維の製造方法」とする発明(以下、「本願発明」という。)につき特許出願をした(同年特許願第103993号)が、昭和57年6月30日に拒絶査定をされたので、これに対し審判の請求をした。特許庁は、同請求を同年審判第18320号事件として審理した上、昭和59年1月18日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年2月20日、原告に送達された。

2  本願発明の特許請求の範囲

溶融紡出後紡糸口金直下で一旦冷却した熱可塑性合成繊維を、紡糸口金と表面周速度を3000m/min以上となした高速回転取引ロール間で加熱帯域を通過されて延伸し、次いで必要に応じて再延伸および/または熱処理を行つた後、連続的に引き取るかまたは切断する合成繊維の製造法において、紡糸口金として中空繊維または異形断面繊維を製造することが可能な紡糸孔を有するものを使用するとともに紡糸口金直下で糸条を横断面方向に非対称的に冷却することにより、下記に定義する潜在巻縮性1/ρが少なくとも1.5以上となるような巻縮能を有する新規な巻縮繊維の製造方法。

潜在巻縮性1/ρ……延伸後の単繊維を160℃乾熱で60秒間自由収縮熱処理した際に発現する螺旋状巻縮10個当りの平均螺旋半径ρ(単位mm)の逆数で定義する。

3  審決の理由の要点

1 本願発明の要旨は、前項の特許請求の範囲に記載のとおりである。

2 これに対して、特公昭46―412号公報(以下、「第1引用例」という。)には、合成繊維を溶融紡糸し、繊維軸と直角方向に非対称冷却し(3欄17ないし21行)た後、高速で引き取り延伸して高巻縮能のある繊維を製造するに際し、この冷却した糸を、加熱ピンのような加熱帯域を通過させて延伸する場合が示され(実施例1)、かつ、その高速引き取り速度として4000m/分の例も示されている(実施例2)。

3 そこで、本願発明と第1引用例の記載内容とを比較すると、次の2点で異なる他、両者の技術的構成上格別の差異はない。

(1)  前者では、紡糸口金として中空又は異形断面の紡糸孔を有するものを特に用いるのに対して、後者では、紡糸孔の形状には言及されていない点(相違点(1))

(2)  前者では、紡糸時に付与される潜在巻縮性を特殊なパラメーターで特に限定しているのに対して、後者では、その潜在巻縮の程度についてまで具体的に触れられていない点(相違点(2))

4  右相違点を検討する。

(1)  相違点(1)について

合成繊維を溶融紡糸し、非対称に冷却した3000m/分以上の高速で引取つて高巻縮能を有する繊維を製造するに当たり、その巻縮能をより高めるために紡糸孔の形状を異形断面とすることが、特公昭43―19622号公報(以下、「第2引用例」という。)に記載されている(特に、1頁右欄下から13ないし2行、第2図参照)。

そして、本願発明において特に異形断面の紡糸孔のものを用いたことによる効果も、第2引用例に示唆される範囲を出ないものであつて、格別のものとは認められない。

したがつて、本願発明は、第1引用例に記載された高巻縮能を有する繊維の製造において、紡糸孔として第2引用例の異形断面のものを単に用いたにすぎないものである。

(2)  相違点(2)について

確かに、第1引用例の方法では紡糸時の潜在巻縮能は明記されていない。しかし、両者の方法を比較すると、紡糸時における具体的操作は全く異ならないのであるから、第1引用例の場合にも当然に本願と同じ程度の潜在巻縮能を有していたと解するのが相当である。

5  なお、請求人(原告)は、第1引用例には、本願発明の要件とする「加熱帯域を設けて延伸する」点が全く記載されず、かつ、第1引用例に記載の加熱ピンは加熱帯域と同一でない旨主張しているが、熱延伸の際の加熱帯域として、本願明細書実施例に記載の加熱筒による加熱の他に、加熱ピン、加熱板等による加熱は共に周知であり、両者とも広く加熱帯域ある点で変らない。また、本願発明において、仮に加熱帯域を非接触の加熱筒に限定したとしても、当業者が右周知の事実に基づいて容易に変更しうる設計的事項にすぎないといえるので、請求人(原告)の右主張は妥当でない。

6  以上のとおりであるから、本願発明は、第1、第2引用例の記載内容に基づいて当業者が容易に発明することができたものと認められ、特許法29条2項により特許を受けることができない。

4 審決を取り消すべき事由

1 審決の理由の要点1、4のうち第2引用例の記載事項の認定、5のうち周知事実の認定は認めるが、その余は争う。

審決は、第1引用例の記載内容を誤認し、その結果、誤つた結論に至つたものであるから、違法として取り消されなくてはならない。

2 審決の第1引用例の記載内容の認定(審決の理由の要点2)は、基本的に誤つている。

第1引用例の実施例1は、直接紡糸延伸法の例であり、口金から押し出して冷風で冷却した未延伸糸を供給ローラと延伸ローラ間で熱ピンに接触させて延伸するものであり、その引取り速度は1800m/分であつて高速での引取りではなく、一方、第1引用例の実施例2は、高速紡糸法の例であり、4000m/分で高速引取りするものであるが、冷却した糸を加熱帯域を通過させて延伸するものではない。それ故、第1引用例には、審決の認定する「高速で引取り延伸して高巻縮能のある繊維を製造する」ことは何ら開示されていない。

また、審決は、右実施例1の方法において実施例2の高速引取り速度(4000m/分)が適用できると誤認しているようであるが、実施例1の直接紡糸延伸法は供給ローラと延伸ローラとの速度差による張力によつて熱延伸するものであるのに対して実施例2の高速紡糸法は紡糸孔から押し出される合成樹脂の吐出線速度と引取りローラとの速度差による張力によつて細化するもので、その張力のかかり方が全く異なる。このように張力のかかり方が異なる実施例1の方法に実施例2の引取り速度を適用することはできない。

右のとおり審決は第1引用例の記載内容を誤認し、この誤認の上に立つてその後の判断を導き出しているのであるから、その判断ひいては審決の結論が誤りであることは明らかである。

第3請求の原因に対する認否、反論

1  請求の原因1ないし3の事実は認める。同4の主張は争う。

2  審決の認定判断は正当であり、原告主張の審決取消事由はいずれも理由がない。

第1引用例には、その特許請求の範囲に記載されている「1000m/分以上の速度で巻き上げることを特徴とする巻縮多繊条糸の製造方法」が示されている。すなわち、第1引用例の引取り速度は1000m/分以上であつて、本願発明の3000m/分以上を当然含むものであり、実施例1ではその速度を1800m/分とした場合が、また実施例2では4000m/分とした場合が記載されている。

なお、第1引用例の実施例1が直接紡糸延伸法の例であり、実施例2が高速紡糸法の例であること、両方法において張力のかかり方が原告主張のとおり異なることは認める。

第4証拠

本件記録中の書証目録の記載を引用する。

理由

1  請求の原因1ないし3の事実及び本願発明の要旨が審決認定のとおりであることは、当事者間に争いがいない。

2  そこで、原告主張の審決取消事由について検討する。

1 前記当事者間に争いのない本願発明の要旨と成立に争いのない甲第2号証の1ないし3により認められる本願明細書の記載によれば、熱可塑性合成高分子から巻縮繊維を製造する従来方法が実質上紡糸速度を1000m/分よりもはるかに低く設定せざるをえず、結局、生産コストの低減、生産性の向上という所期の目的を達成することができなかつたという欠点を有していたことに鑑み、本願発明者らはこの欠点を解消し、数千m/分以上の高速度で強伸度、初期ヤング率などの力学的性質並びに嵩高性に優れた巻縮繊維を製造する方法として本願発明に到達したものであること、本願発明は、溶融紡出後紡糸口金直下で一旦冷却した熱可塑性合成繊維を、紡糸口金と表面周速度を3000m/分以上として高速回転引取ロール間で加熱帯域を通過させて延伸し引取ることを前提条件とし、そして、紡糸口金として中空繊維又は異形断面繊維を製造することが可能な紡糸孔を有するものを使用するとともに、紡糸口金直下で糸条を横断面方向に非対称的に冷却することにより、その特許請求の範囲に示された潜在巻縮性1/ρが少なくとも1.5以上となるような巻縮能を有する巻縮繊維を製造する方法であり、これによつて、本願発明とは異なり紡糸口金と高速回転引取ロール間に加熱帯域を設けないで潜在巻縮性繊維を高速紡糸する従来一般の高速紡糸法に比較し、同一紡糸速度下では、強伸度、初期ヤング率などの力学的性質並びに嵩高性が優れており、特に初期ヤング率が大きいために巻縮のへたりが少なく、長時間の使用によつても嵩高性が低下しないという特徴を有する巻縮繊維を製造することができるという効果を奏するものであることが認められる。

これに対し、成立に争いのない甲第3号証によると、第1引用例は巻縮多繊条の製造方法に関する発明を開示した特許公報であつて、その特許請求の範囲には「合成繊維を溶融紡糸し、糸条に対して片面冷却または片面熱処理し、高速紡糸法または直接紡糸延伸法により一挙に巻縮した多繊条延伸糸とし、次いでゲージ圧として15気圧以下の噴射流体による乱流域中で処理して、多繊条の各単系をからみ合わせた後、1000m/min以上の速度で巻き上げることを特徴とする巻縮多繊条糸の製造方法。」が記載されていること、右の高速紡糸法又は直接紡糸延伸法により一挙に巻縮した多繊条延伸糸とする方法に関し、実施例1には、「平均重合度210のポリ―ε―カプロアミドを普通の紡糸機で280℃の紡糸温度で孔数16個の口金1から19g/minで押し出し、冷風で冷却し2、給油した3の5、450m/minで初段ゴテーローラ4およびピンチローラ5で引取り、さらに60φ、600℃の熱ピン6に接触させ、40倍に延伸しながら、1800m/minで延伸ローラ7に引取つた。」(別紙図面第1図参照)と、実施例2には、「平均重合度175のポリ―ε―カプロアミドの250℃で溶融し11、Y形状(スリツト幅0.1mm、足の長さ0.8mm)口金(孔数136)を通じて毎分151gの速度で押し出し、18℃の冷却風12を毎分100mの速度で当てた後、糸道ダクト13を通し、給油し14、4000m/minの引取ゴテーローラ15に巻き付け、」(別紙図面第2図参照)と記載されていることが認められる。そして、実施例1の右方法が直接紡糸延伸法であつて、供給ローラ延伸ローラとの速度差による張力によつて熱延伸するものであるのに対し、実施例2の右方法が高速紡糸法であつて、紡糸孔から押し出される合成樹脂の吐出線速度と引取ローラとの速度差による張力によつて細化するもので、両者はその張力のかかり方が異なることは、当事者間に争いがない。

右事実によると、第1引用例の実施例1の方法は、溶融紡出後紡糸口金直下で一旦冷却した熱可塑性合成繊維を供給ローラと延伸ローラ間で熱ピンに接触させて延伸し、1800m/分の速度で延伸ローラに引取る方法であつて、本願発明のように紡糸口金と引取ロール間で3000m/分以上の速度で引取る方法ではなく、同実施例2の方法は、溶融紡出後紡糸口金直下で冷却した熱可塑性合成繊維を4000m/分の速度で引取りゴテローラに引取る方法であつて、本願発明のように冷却した合成繊維を加熱帯域を通過させて延伸する方法ではないことが認められる。

被告は、第1引用例の特許請求の範囲に「1000m/分以上の速度で巻き上げる」ことが示されているから、第1引用例の方法の引取り速度は1000m/分以上であると主張する。しかし、右1000m/分以上の巻き上げ速度は、高速紡糸法又は直接紡糸延伸法によつて巻縮糸を得る工程における巻き上げ速度ではなく、右の工程に続く別工程における巻き上げ速度を示していることは、前示第1引用例の特許請求の範囲の記載から明らかであるから、被告の右主張は失当である。

また、前叙のとおり高速紡糸法と直接紡糸法延伸法とでは張力のかかり方が異なるから、第1引用例の実施例2の高速紡糸法における4000m/分の速度を実施例1の直接紡糸延伸法に直ちに適用できると認めることはできない。その他第1引用例に審決の認定した「高速で引取り延伸して高巻縮能にある繊維を製造する」方法が開示されていると認めるに足りる証拠はない。

2 以上のとおり、第1引用例には、本願発明の熱可塑性合成繊維を紡糸口金と表面周速度を3000m/分以上とした高速回転取引ロール間で加熱帯域を通過させて延伸し引取る合成繊維の製造法は開示されていないのであるから、この点において本願発明と第1引用例の各方法とは差異があるものであつて、この点を相違点と認めなかつた審決の認定は誤りであるといわなければならない。

そして、この相違点の看過が審決の結論に影響を及ぼすものであることは、前示本願発明の構成とこの構成に基づく効果に照らし明らかであるから、審決は違法として取り消しを免れない。

3  よつて、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用し、主文のとおり判決する。

(瀧川叡一 牧野利秋 清野寛甫)

<以下省略>

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